<特別対談>医療× データサイエンス×アクチュアリー最前線

<特別対談>医療× データサイエンス×アクチュアリー最前線

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国や健康保険組合にとって、医療費の抑制は喫緊の課題になっている。特に、糖尿病患者は増加しており、国は糖尿病性腎症重症化予防プログラムを改定するなど対応を進めている。国内外の保険市場でも、健康状態に応じて保険料を決定する商品が発売されており、保険を通じた健康増進の取り組みが加速している。そうした保険のニーズやアクチュアリーの役割などについて、スイス再保険の藤澤陽介氏と医療データの提供・分析により保険事業などをサポートするJMDCの齋藤知輝氏が語り合った。

  1. 国内の成人糖尿病患者数は2016年時点で1000万人台に
  2. 情報プラットフォーム構築で保険会社と契約者双方に利点
  3. データの提供量に応じたベネフィットを明確化

国内の成人糖尿病患者数は2016年時点で1000万人台に

─糖尿病における重症化予防の取り組みが進んでいます。保険会社、アクチュアリーの立場から、どうとらえていますか。

藤澤 厚生労働省の「国民健康・栄養調査」によると、国内で「糖尿病が強く疑われる者」(糖尿病有病者)は2016年時点で推計1000万人に上り、1997年の調査開始以来、初めて1000万人台となりました。病気になる確率の高い高齢者人口の増加に加え、食生活や生活習慣、社会環境の変化などが原因と見られています。

齋藤 糖尿病は初期段階では自覚症状がないため、健康診断で指摘を受けても放置する方も多いですが、病状が進行すると深刻な合併症を引き起こします。特に注意すべき慢性合併症の1つである「糖尿病性腎症」が進行して人工透析が必要な状態になると、患者1人当たり年間500万円もの医療費がかかると言われています。日本の国民皆保険制度はセーフティーネットとして重要な役割を担っていますが、同時に、毎年増加傾向にある医療費の抑制も、国や健康保険組合にとって喫緊の課題になっています。

藤澤 糖尿病治療では、病気自体の改善以上に、合併症を発症しそうな人を早期に見つけ出し、適切な予防アプローチを行うことが重要だと指摘されています。日本と同様に糖尿病患者が増えているアジア地域では、保険の活用による糖尿病予防の取り組みが始まっています。

タイの糖尿病保険では、保険料を6カ月ごとに変動する仕組みを導入しています。この保険料変動は規制の枠を超えた仕組みであり、規制のサンドボックス制度(新しいビジネスモデルを促進するための新技術等実証制度)を用いています。具体的には、糖尿病の可能性があるかどうかを判別するために用いられている「HbA1c(ヘモグロビン・エーワンシー)」という値に着目し、この数値が改善していくと保険料が安くなるというインセンティブを被保険者に提供することで、糖尿病の重症化予防を促します。

糖尿病治療やモニタリングは長期間におよぶケースも多く、長い期間の保障を提供する保険商品を設計するためには、治療や薬の服用など患者の方々がどのような経緯をたどってきたかを把握するデータ分析が不可欠です。

─糖尿病患者のデータ分析において、注目すべき情報は何ですか。

齋藤 糖尿病性腎症の進行度合いを確かめる上で、特に2つの情報が重要です。

1つ目は、腎臓の状態を示す指標である「クレアチニン」のデータです。腎臓が悪くなると血液中のクレアチニンの量が増えていくため、この入手がカギになります。

2つ目は、血糖値の継続的な情報です。糖尿病は、血糖値の高い状態が続くことで腎臓への負担が累積し合併症が進みます。血糖値の継続的なデータを取得・分析することで病状のより正確な評価が可能になります。

藤澤 保険会社が持っている情報は、被保険者が保険に加入する時点の告知情報や健康診断の結果であることが多く、実際に被保険者が糖尿病になって、どのような推移をたどっているかというデータは入手しにくいのが現状です。このため、第三者の協力が不可欠になります。JMDCも有力な候補になると考えています。

齋藤 JMDCは、医療データを医薬・医療機器・研究機関・保険者など、健康事業に携わる方々に提供することによって、新たな医療技術や新製薬の開発、保健事業をサポートしています。

当社には、健康保険組合を通じてレセプトや健康診断のデータが集まっており、糖尿病保険の新商品開発のための基礎データももちろん提供可能です。

情報プラットフォーム構築で保険会社と契約者双方に利点

─支払いと保険料のバランスが取れた保険商品にするために必要な工夫は。

藤澤 糖尿病保険は新しいタイプの商品であるため、確度の高いデータ分析やそれに基づく保険料の設定が重要です。

齋藤 量・質ともに十分なデータと高い解析力は不可欠です。加えて、お客様の利便性も重要な視点です。一般的に、保険料設定のための基準項目を増やせば増やすほど、より確度の高い予測ができます。しかし、保険に加入するために必要な情報が多くなり過ぎては手続きが煩雑で、そもそも加入してもらえなくなるかもしれません。

例えば、先に述べたクレアチニン、血糖値などは必須の情報ですが、服薬状況や血圧の情報まで求めるかどうかは判断が分かれます。各情報の重要度を解析の専門家として評価しつつ、お客様目線もあわせもって、バランスをとることが必要です。

藤澤 保険会社が糖尿病保険を開発する場合 、血糖値などのコントロールに取り組む糖尿病患者のプラットフォームを構築する必要があるでしょう。

お客様が血糖値や健康状態をモニタリングし、そのデータが保険会社に提供される仕組みができれば、保険を通じた健康増進の好循環が生まれ、保険会社と保険契約者の双方がWin-Winの関係になれると思います。さらには、社会全体の医療費削減という好循環も生まれます。日々のデータの捕捉が課題ですが、身に着けて持ち歩くことができる「ウェアラブル端末」の活用なども選択肢になる時代が来ると思います。

齋藤 先日、医療系の学会で「フラッシュグルコースモニタリング(FGM)」という血糖値計測のウェアラブル端末に関する発表を聞きました。これは、皮下に入れたセンサーで間質液中のグルコース濃度を連続的に測定し、血糖値に換算して表示する機器です。一般的な血糖測定では測定時の値しかわかりませんが、FGMは睡眠時も含めた24時間のグルコース値を測定できます。こうした機器が普及すれば、保険会社による血糖値の継続的なモニタリングも可能になるでしょう。

─データ分析での注意点は。

齋藤 大前提として、データを収集して分析に使えるように加工する“データクレンジング”を慎重に行っています。この点は、長年にわたり日本最大級の医療データベースを構築・整備してきたJMDCのノウハウが活きるところです。また、予測モデルが医学の世界から見て妥当性の高いものになっているか否かという点も重要視しています。どれだけ予測精度の高いモデルを開発しても、現場で実際に使われなければ意味がないからです。

例えば、予測モデルには、様々な変数を組み込む必要がありますが、その取捨選択や統合について、医師の助言も役立てています。モデル活用の実効性を高めるには、それを使う人の目線で設計することが重要だと考えています。

そのため予測モデル構築の実務では、最初から細かな調整を施した完成形を目指すのではなく、まずは短期間でプロトタイプを作り、専門家の意見を得てブラッシュアップするプロセスを重ねることが効果的だと思います。

藤澤 当社でも、機械学習を使って糖尿病のデータ分析を行っています。どのファクターが糖尿病の重症化に大きな影響を与えているかを分析する際には、社内のドクターをはじめ、専門家の評価も受けた上でモデルの有効性を議論します。保険の場合は、お客様に商品が有益であるかどうかを説明できなければなりません。解釈可能な予測モデルに裏打ちされた説明能力が求められます。

海外では先進的な事例が増えています。日本でゼロベースで考えるよりも、そうした事例を参考にしながら商品を設計することが、より早い商品提供につながると思います。海外の知見を含む、より多くの定性的・定量的なデータの獲得が商品設計の安定度を高めます。

データの提供量に応じたベネフィットを明確化

─第三者がデータを活用することに不安を感じている個人も少なくありません。どのような倫理観を持って分析に携わっていますか。

齋藤 当社では、個人情報データを扱う部署の入室に生体認証を求めるなど、社内でも個人情報データを隔離し、厳格に保護しています。その部署でデータは匿名加工処理が施されるため、保険会社などのデータ提供先はもちろん、社内の分析担当者ですら匿名化されたデータしか扱えない仕組みになっています。現段階でも、データ利用に関して十分配慮がなされていると考えています。

保険会社が商品に関連する情報プラットフォームを作り、契約者個人のデータを収集・活用する際には、データの利用目的や個人情報保護の仕組みについて 、契約者に丁寧に説明するとともに、対外的なアナウンスも求められるでしょう。

藤澤 国際比較を行うと、日本は個人データの活用について保守的な考えが強い傾向にあります。ただ、日本でも、何らかの利益が得られるのであれば、情報提供を行いたいと考える方も少なくないと感じています。データの提供量に応じたベネフィットを、明確にすることが重要になるでしょう。

齋藤 今後、保険会社による健康増進系の保険商品開発や付帯サービス導入のニーズはますます高まると考えています。データサイエンスなどの新しい技術の重要度も増していくでしょう。「医療×データサイエンス」は、これまでアクチュアリーが伝統的にかかわってきた領域と異なる分野であり、私たちも一歩を踏み出しにくいところではあります。一方で、疾病リスクの分析や費用対効果の検証など、アクチュアリーの経験が活きる面も少なくありません。日本の健康を支えるプラットフォームの構築に際し、アクチュアリーが高い倫理観を持って側面支援ができれば、この上ない喜びです。

藤澤 アクチュアリーの役割や評判、認知度の向上を推進することを目的とした国際組織である「国際アクチュアリー会(IAA)」は、2017年に教育シラバスを改定し、「データとシステム」「個人および専門家の実務」などの内容を拡充しました。「個人および専門家の実務」では、アクチュアリー業務における専門職基準や職業倫理の重要性をキーワードの1つに掲げています。一言で表すと“プロフェッショナリズム”です。

また最近、英国アクチュアリー会は英国王立統計学会と共同で「倫理的なデータサイエンスのガイド」を公表しました。先日参加したアジア・アクチュアリー会議でもAIと倫理が1つのトピックになっていました。アクチュアリーが新しい業務分野に進出し、データサイエンスを活用する機会が増える中で、高い倫理観に基づくプロフェッショナリズムがアクチュアリーに求められるようになっています。

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