保険業界における最新マーケティング戦略・テクノロジーによる新しい顧客体験の創造
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【講演者】
- 日本アイ・ビー・エム株式会社
IBMコンサルティング事業本部
iX デジタル・エクスペリエンス・プラットフォーム部
マネージング・コンサルタント
友田 陽介 氏
<Society5.0への移行で生まれる社会変化と保険ビジネスを取り巻く環境>
これまでの情報社会Society 4.0は、フィジカル空間の人がサイバー空間へアクセスして情報を入手・分析していたが、Society 5.0は、サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムによって実現される人間中心の新しい社会だ。フィジカル空間からサイバー空間に集積されるビッグデータは、人口知能(AI)によって解析される。解析から生まれた高付加価値な情報、提案、機器への提示などが、様々な形式でフィジカル空間にいる人間にフィードバックされつつある。これらにより、これまで為し得なかった新たな価値が産業や社会にもたらされ、1人ひとりにパーソナライズされた、人間中心の社会の実現に向けた大きな変化が起きている。
保険ビジネスを取り巻く環境を見ると、政治的、経済的要因による変化はもちろん、デジタル化の進展によるライフスタイルの多様化や世代の混在といった社会的要因により、大きく変化している。顧客が望むチャネル・価値観の多様化に対応していくには、AIや機械学習などの飛躍的に進化した先端テクノロジーを活用していくことが重要だ。
(出所)内閣府「科学技術政策 Society 5.0」より執筆者作成
<グローバルの保険業界CEOが重視する経営課題>
IBMコンサルティングの調査機関「IBM Institute for Business Value」の調査によると、グローバルの保険業界CEOは「顧客体験の向上」を直近で取り組むべき最も優先順位の高い経営課題と捉えている注1。一方、IDC Directions Japanの調査によると、日本企業においては事務効率化等のコスト削減の施策が優先され、顧客体験に関する施策の優先順位は非常に低い状況である注2。日本企業には、顧客体験の重要性がまだ十分に浸透していないと考えられる。
<顧客体験の重要性とグローバル企業が注目する顧客体験の強化策>
従来のイノベーションの中心は商品・サービスであり、物理的・合理的な価値である商品・サービスが顧客の受取価値そのものであった。しかし近年ではコモディティー化が進んでいるため差別化が難しく、商品・サービスそのもので競争に勝つことは困難である。
そこで顧客の受取価値を増大させるために注目されているのが、心理的・感情的な価値を上げる「良い顧客体験」だ。顧客の受取価値は、商品やサービスで得られる物理的・合理的な価値に、顧客体験で得られる心理的・感情的な価値を加えたものである。良い顧客体験を提供するためには、顧客タッチポイントのイノベーションに焦点を当てる必要がある。
顧客体験の向上が注目される中、グローバル企業は顧客体験の強化に大きな役割を果たす取り組みとして、パーソナライゼーションに注目している。パーソナライゼーションを実現する施策として関心が高まっているのが、魅力的なコンテンツやAI、メッセージ配信等を自動化するオートメーション注3である。
<マーケティングの本質とマーケティング戦略の進化>
経営学者のドラッカー教授は、「マーケティングの理想は、販売を不要にすることである」と述べている注4。「販売」という行為を行わなくても、自然に「売れてしまう状態」をつくることが理想ということだ。売れるのはマーケティングの結果であって、マーケティングそのものではないのである。また、コトラー教授は「マーケティングとは顧客の未開拓のニーズを発見し、満足させることだ」と述べている注5。つまり、顧客の心の奥に隠れたニーズを揺り動かすような価値を創ること、売り込むのではなく顧客の生活の中に新しい価値を創ることこそが、マーケティングの本質なのだ。
一方、顧客にとってのマーケティングの価値は、顧客本人ですら気付けていない、心の奥に隠れた未解決な課題を発掘し解決することである。いくら新しくて品質の良いものを提供しても、顧客に選んでもらえなければ、顧客の生活において価値にならない。
マーケティングは、顧客の課題を発掘して解決する「仕組み」と「仕掛け」を用意し、顧客に選んでもらえるようにすることが重要である。
<マーケティングの変遷と「マーケティング5.0」への進化>
マーケティングは、従来の製品中心、消費者志向、価値主導といった伝統的マーケティングから、デジタル世界におけるマーケティングへと進化している。
伝統的マーケティングで最初に登場した製品中心のマーケティングは、需要が供給を上回る時代、作れば売れる時代のマーケティングで、4P注6といったフレームを重視するマーケティングである。次に登場した消費者志向のマーケティングは、経済が豊かになって消費者ニーズに合わせた商品を提供するマーケティングで、セグメンテーション、ターゲティングといった、市場と消費者に重点をおいたフレームが重視されるようになった。次が価値主導のマーケティングで、製品価値だけでなく、企業姿勢の消費者への認知が重要になった。
その後、リアルとデジタルを融合させた、デジタル世界におけるマーケティングへと進化し、2010年代からは、SNS上の口コミの影響を考慮した接続性の時代のマーケティングが登場した。
2020年代以降は、飛躍的に進化したマーケティング・テクノロジーが新たな顧客体験を提供する時代を迎えている。そこで、顧客体験価値を増幅させる5つの構成要素を重視するマーケティングとして注目されているのが、コトラー教授が提唱する「マーケティング5.0注7」である。
<現代のマーケティングにおける課題>
現代のマーケティングにおいて注目すべき課題は、「世代間ギャップ」と「デジタル・ディバイド」の2つだ。
「世代間ギャップ」には、価値観が異なる5つの世代の混在への対応と、同じ世代内での価値観・ニーズの多様化への対応という2つの課題がある。生まれ育った時代が違うそれぞれの世代はライフスタイルや価値観が異なることが知られており、現代は価値観が異なる5つの世代が混在している。このような増加するすべての世代への対応が1つ目の課題だ。加えて、1980年代から1990年代中期に生まれたY世代以降は、教育水準が高く、多様なコンテンツに触れているため、同じ世代内でも価値観が多様化している。このような同じ世代内に対しても、さまざまなニーズヘ対応が必要となっていることが2つ目の課題だ。これらの課題への対応には、多様化する全ての個人を対象にパーソナライズされた顧客体験の提供や、様々なニーズに柔軟に対応可能な体制の整備が必要だ。
「デジタル・ディバイド」は、ITを積極的に遠ざける「ITを批判する顧客」と、ITへの期待値が高い「ITを支持する顧客」という、新しい情報格差への対応という課題だ。未知のものに対して不信感やセキュリティーの懸念を持つ顧客は、新しいテクノロジーに不安を感じ、ITを批判する。このような積極的にITを遠ざける顧客から、いかに支持を得るかが課題だ。一方で、IT活用を必然と捉える顧客は、さまざまなタッチポイントで優れた体験を得るため、体験への期待値は更新され続ける。このようなITを支持する顧客に対して、いかに期待値を超えるような体験を提供し続けるかも課題となっている。そこで、IT批判者・支持者の両顧客からの支持を獲得する上で重要になるのは、批判者でさえ「欲しい」と感じるほどの、さらには支持者の期待値を超えるほどの、優れた体験を提供し続けることである。
<マーケティング5.0の5つの構成要素とそれらを支えるマーテック>
マーケティング5.0において、パーソナライゼーションのプロセスは「コンテクスチュアル」「予測」「拡張」の3つのマーケティング要素で構成される。これらのプロセスは、「データドリブン」「アジャイル」の2つのマーケティング要素をベースに実現される。
これらのマーケティング活動を強化する鍵となるのは、飛躍的に進化したマーテック(マーケティング・テクノロジー)のCMS、MA、CDP等を活用した優れた顧客体験の創造である。
CMS(コンテンツ・マネジメント・システム)とは、大量のコンテンツを一元的に管理し、様々なタッチポイントへ効率的にコンテンツを提供するシステムだ。コンテンツ閲覧・Webサイト検索履歴等のデジタル行動データを収集することで、Eメール・アプリ等でのマーケティングも可能となる。
MA(マーケティング・オートメーション)とは、収益向上・業務効率化を目指し、マーケティング活動を自動化するテクノロジーのことを言う。見込客のデジタル行動を可視化し、見込客一人ひとりの興味・関心に合わせて、マーケティング施策を自動で変化させることが可能だ。
CDP(カスタマー・データ・プラットフォーム)はリアルとデジタル両方の接点から様々な情報を収集し、顧客プロファイルを統合する仕組みである。統合したプロファイルを共通の特徴を持つグループに分類して他システムへデータ配信し、各種チャネルで具体的なアクションを実行する。
<顧客の契約検討プロセスと営業活動の変化>
顧客が保険加入を検討する際の情報取得行動は大きく変わり、保険会社/比較検討サイトなどのデジタルタッチポイントをより重視する傾向が加速している。従来は営業担当者が顧客の契約検討プロセスに関われる範囲は広かったが、現代では、顧客はインターネット等での調査・評価で契約の意思決定に関わる6〜7割を済ませてしまうため、営業担当者が契約検討プロセスに影響を及ぼせる範囲が従来より狭まる傾向にある。会いづらいために、アフターフォローにおいても営業担当者に代わり顧客の成功へ能動的に注力する存在が必要になりつつある。
<マーケティング・プロセスの可視化とチャネル間連携による一貫した顧客体験の提供>
顧客のデジタルシフトが進むほど、営業担当者は顧客から選ばれる存在へと進化できる。営業・コールセンター等の従来のタッチポイントで得られる記録は、入力漏れや主観が入るため、顧客を知る十分な情報とはならない。一方、さまざまなツールを活用できるデジタル接点では、顧客行動のトラッキングを通じて顧客の興味・関心を可視化できる点が強みだ。
顧客のデジタルシフトが加速し、デジタルの重要性が高まっているため、顧客が情報収集する段階からマーケティング施策を通じたアプローチが必要となっている。一方で、マーケティング部門が創出した見込客を、そのまま営業部門に引き渡す場合、2つの部門が対立する構造になりがちだ。マーケティング部門が見込客の数を追い、営業部門が契約の数を追うような役割分担を行うと、見込客の品質が、対立ポイントになる。そこで、部門を超えた協働によって顧客に良質な成功体験を提供し、LTV(ライフタイムバリュー)を最大化するメソッド注8が注目されている。このメソッドでは、プロセスを「マーケティング」「インサイドセールス」「フィールドセールス」「カスタマーサクセス」の4つに細分化して分業体制を構築し、各段階で情報を可視化する。分業体制の導入により、営業は付加価値の高い活動に注力でき、顧客はより良質なサービスを享受できるようになる。また、4つに細分化したプロセスを連続したKPIでつないで可視化することによって、部門を超えた協働が実現され、会社全体としての生産性が向上する。
<匿名顧客の行動や興味の把握に注目する「パーソナライゼーション2.0」>
優れた顧客体験を提供するためには、顧客とのリアル・デジタル接点で様々な情報を取得し、顧客を理解することが重要だ。従来のパーソナライゼーションは、顧客の認証を重視するためログインした人だけを対象にしていた。一方、行動やAIによる推測にフォーカスする「パーソナライゼーション2.0注9」では、認知していない匿名の顧客を対象としている点が大きな違いである。パーソナライゼーション2.0では、属性データではなく行動データから顧客の興味を把握してパーソナライズするため、顧客の認証は不要であり、匿名の顧客を対象とすることが可能だ。
CDPのようなマーテックを活用すれば、デジタルの世界においては匿名の顧客であっても適切にIDを管理することで、複数デバイスでの行動データを顧客単位に結合することが可能だ。さらに、デジタル行動データとリアル接点履歴等の顧客プロファイルを統合して顧客理解の解像度を高めれば、より精度の高いパーソナライズが可能となり、より優れた顧客体験の提供が実現できる。
<まとめ>
従来型企業では、アプリやデータベースを自社で構築しているために、それらを維持しようとしがちだ。一方、デジタルテクノロジーを積極的に活用するデジタルネイティブ企業が使うツールは、『レゴ(Lego)』のピースのように接続すればすぐに使える形式であるため、システムをいち早く開発でき、ビジネス変革を素早く実現できる。IBMは保険業界のビジネス変革を支えるシステムアーキテクチャーを公表しており、顧客向けにはリアルとデジタルを融合した体験や徹底したパーソナライズ、ビジネスのスピードアップに向けては業界の枠を超えたボーダーレスな連携と自動化の実現を加速するものとなっている。
IBMはお客様のDXパートナーとして、ビジネス成長に不可欠な保険業界向けのプラットフォーム、中核業務のプロセス刷新及び管理、人材マネジメント、データ活用の促進に関するコンサルティングサービスを提供している。IBMが持つ技術、知見、技能によって、新しい顧客体験の創造を目指していきたい。
(出所)日本アイ・ビー・エム「保険業界向けシステム・アーキテクチャー」より執筆者作成
(注1)「Global C-Suite study 25th edition Q4 2021」IBM Institute for Business Value
(注2)「Generative AIの活用でCXはどう変わるのか?UXの標準化の先に企業が強化すべき競争力の源泉とは?」IDC Directions Japan
(注3)「Experience Leaders are prioritizing digital transformation for CX」IBM Institute for Business Value
(注4)「マネジメントー基本と原則」ピーター・F・ドラッカー 著
(注5)「コトラーの戦略的マーケティングーいかに市場を創造し、攻略し、支配するか」フィリップ・コトラー 著
(注6)マーケティング学者のエドモンド・ジェローム・マッカーシーが提唱したProduct(製品)、Price(価格)、Promotion(販売促進)、Place(流通)の4要素によるマーケティングのフレームワーク
(注7)「コトラーのマーケティング5.0」フィリップ・コトラー/ヘルマワン・カルタジャヤ/イワン・セティアワン 著 で提唱された概念
(注8)「THE MODEL」福田 康隆 著で提唱されたメソッド
(注9)イギリスのマーケティング企業「Econsultancy」の創設者であるアシュリー・フリードレインが提唱した概念
◆講演企業情報
日本アイ・ビー・エム株式会社:https://www.ibm.com/jp-ja