「従業員エクスペリエンス – ISO30414対応を見据えて」
- 【講演者】
- クアルトリクス合同会社
EX ソリューションストラテジー ディレクター
東田 真樹 氏
<エンゲージメントが人的資本指標として不十分な理由>
生産性の向上やビジネスの成長、従業員に対する満足度が注目され始めたのは1950年代。戦後に急速な機械化で業務が単調化するにつれ従業員の勤労意欲の低下が見られたことから、従業員満足度調査を実施する企業が出てきた。しかし科学的な検証を得られず、最終的には従業員満足度と企業業績の間に相関はないと結論づけられた。
1990年代頃からは、「エンゲージメント」という新たな概念が登場。これは達成感や貢献意欲をベースにした考え方で、常に創意工夫をして、自分の役割を超えて積極的に他者と協働をしたり、チャレンジングな目標に対しても前向きな姿勢で達成に挑む、こうした特性のある人はエンゲージメントが高いと評されている。実際にエンゲージメントが高い社員が多い組織は業績が良く、株式市場でのパフォーマンスも高いことが数々の研究で立証された。そこで、エンゲージメント調査に力を入れる企業が増えたが、今ではこの概念も揺らいでいる。
従業員のエンゲージメントが高くても、非効率な業務プロセスやデジタル化が進んでいないなどの環境では生産性を最大化できない。またエンゲージメントが高いがゆえに、働きすぎて心身ともに疲弊し、休職や退職に追い込まれる従業員がいることが問題視されたからだ。
現在では従業員エンゲージメントに加え、業務プロセスなども含めた従業員体験全般を見ていく必要があると考えられるようになり、「従業員エクスペリエンス」という概念に変化した。テクノロジーを活用して効率的に業務をこなす、目標に向かって努力しながらも心身ともに健康を保つことが「従業員エクスペリエンス」の高さにつながる。
<人的資本経営への注目>
従業員エクスペリエンスと企業業績の相関関係は、1990年代にハーバードビジネススクールのジェームズ・ヘスケット教授のチームが「サービスプロフィットチェーン」という概念を示して提唱している。
従業員のエンゲージメントが高いとサービス品質やイノベーションが高まり(EXの向上)、波及効果で顧客満足度やロイヤリティが上がることから(CXの向上)、顧客の定着率や新規顧客の獲得につながる。それらが業績に結びつき、得られた利益を再び従業員エクスペリエンスに投資できるようになる。この好循環を回すことが、サービスプロフィットチェーンのポイントだという。この概念は、近年になって真実味を帯びている。
企業の業績研究の中で、従業員エクスペリエンスに投資をしている企業は、そうでない企業と比較した場合にカスタマーサービス評価や従業員1人あたりの利益率、株式市場でのパフォーマンスが高いことが示されたのだ。つまり、財務諸表には掲載されない人的指標だが、実は企業の業績を左右しかねないことが明らかになり、人的資本経営への関心が高まりを見せている。
まず2018年にISOが人的資本情報開示に関するガイドラインを公開。2年後の2020年には米国証券取引所が上場企業に対して人的資本の情報開示を義務付けた。日本でも経済産業省が人的資本に関する研究会を開催し、その報告を2020年9月に通称「人材版伊藤レポート」として公開。2022年5月には、具体的事例などを明示した「人材版伊藤レポート2.0」が発表されている。
こうした背景を受けどのように人的資本経営に対応すべきか、という議論が日本企業でも始まっている。
<従業員エクスペリエンスと経営インパクト>
2018年に発表された「ISO30414」は、ステークホルダーに対して人的資本の状況を情報開示するにあたってのガイドラインだ。11の人的資本エリアが定められ、どのような項目が人的資本情報として考えられるかが具体的に示されている。
ただこうした人的資本指標は数値で公表するだけでは、企業の成長性は判断しづらい。業界によって事情が異なるだけに、投資家には全く響かないだろう。自社の成長の源泉がどこにあり、それは適切にモニタリングした指標に表れているという具合に、ストーリーを明らかにする必要がある。
保険会社アリアンツの事例
金融機関として世界で3番目にISO30414の認証を受けた、保険会社アリアンツの事例をみてみよう。
投資家に向けて開示している人的資本指標は「peopleファクトブック」。開示指標は多岐にわたり、ダイバーシティに関連する項目から従業員1人当たりの研修時間、さらにその従業員のLinkedIn(リンクトイン)への登録数なども人的資本指標として明らかにしている。従業員エクスペリエンスの指標化に加えて、顧客エクスペリエンスと相関分析をしている点もユニークだ。
従業員エンゲージメントの向上が顧客満足度や顧客のロイヤリティを引き上げ、顧客の定着率や支援客の拡大につながることで、業績に結びつくという、従業員エクスペリエンスと顧客エクスペリエンスの相関性を検証した上でアピールしている。
<人的資本経営に向けたステップ>
弊社クアルトリクスでは、従業員エクスペリエンス、および顧客エクスペリエンスなどの体験管理に対する成熟モデルを用意している。このモデルは5段階に分けられる。
1(Investigate) ⾃社の従業員体験(EX)の現状分析
2(Initiate) ドライバー分析をもとにした組織⼈事施策の⽴案・実施
3(Mobilize) 顧客体験(CX)・満⾜度のクロス分析による包括的なインサイトの収集・共有
4(Scale) 必要なテクノロジー、知識・実⾏⼒、企業⾵⼟の整備によるEX・CXマネジメントの「⾃分ごと」化
5(Embed) 差別化要因としての体験管理により企業価値を向上
まず、1段階目はエンゲージメント調査や従業員エクスペリエンス(EX)の調査による「従業員体験の現状分析」。調査結果から、何が社員の継続就業意向を決定付けるドライバーになっているのかを分析したら、組織人事施策に結びつけるのが第2段階の施策だ。
第3段階からが重要で、EXと顧客体験(CX)・満⾜度をクロス分析して、包括的なインサイト知見を収集。次の段階ではEXやCXのマネジメントを一人ひとりが自分事化する。
この段階では、分析に必要なテクノロジーだけではなくて、それらの有用性を理解するための知識や実行力、データドリブンな経営をよしとする企業風土などの整備が不可欠になる。
最終5段階で、EXやCXを含めた体験管理を企業の競争力の差別化要因にまで持っていく。
重要なのは、一つ一つのスコア増減や人的資本指標の項目内容で判断してもらうのではなく、それらが企業価値向上に結びついていることを経営実績として証明することだ。
<従業員エクスペリエンスを新たな指標とするために>
クアルトリクスでは、EX25と呼ばれるエンゲージメント調査のフレームワークを利用して第1段階の現状分析を行っている。
KPIとして抽出した項目は幅広く、エンゲージメント、継続勤務意向などの他、インクルージョン、ウェルビーイング、健康経営などのKPIも重要指標とみなしている。フレームワーク内に抽出されたドライバーは産業組織心理学のエキスパートが選出した共通傾向が高い25個だ。
エンゲージメントとの相関関係をグラフにして視覚化すると、エンゲージメントが高まりやすい項目、注力すべきアクションが見えやすくなる。例えば「成長の機会」は、業種や職種、年代を問わず、エンゲージメントの相関が高く、キャリア支援を促したり、成長への気づきを与えることで離職リスクを下げたり、再スキル化(リスキリング)の効果が期待しやすい。他にも「コミュニケーション」「変革への対応」「戦略の浸透」「経営陣の信頼感」などがある。
なお、こうした調査の分析で注意したいのは、値が低い項目がすなわち改善ポイントではないことだ。値が低くても、エンゲージメントとの相関性がない場合は問題ないことになる。
エンゲージメントの源泉は各社で異なるため、自社におけるエンゲージメントは社員の属性ごとにドライバーを分析した上で判断し、何を高めれば企業業績に結びつきやすいのかを分析していくことが重要だ。
今後、ISO30414、あるいは人的資本経営に向けて準備をしていく際には、こうした点を踏まえて施策を検討いただきたい。
◆講演企業情報
クアルトリクス合同会社:https://www.qualtrics.com/jp