各国通貨のバリュエーションがリブラで計測されるシナリオ
2019年7月10日、 FRB(米連邦準備理事会)のジェローム・パウエル議長は、「プライバシーやマネーロンダリング、消費者保護、金融制度の安定性などの点で多くの重大な懸念がある」と発言した。仏経済・財務大臣であるブリュノ・ル・メール氏も同月18日に「国の通貨に代わるデジタル通貨は容認できない。」と語った。
いずれも、2019年6月18日、フェイスブックが大手カード会社などと共同で発行すると発表した暗号資産『リブラ』に向けたものだ。主要国の政府・中央銀行は、リブラに一斉に強く反応した。そのほとんどが警戒心、敵愾心を顕にしたものだ。トランプ米大統領も、同年7月11日のツイートで「ほとんど地位も信頼性もない」と酷評している。
このリブラに対する各国当局の厳しい反応は、ビットコインなど既存の「仮想通貨(以下、旧仮想通貨という)」への姿勢と一線を画するものだ。旧仮想通貨が不正に流出する事件が重なった際には、取引所への規制強化が図られた。ただし、新たなデジタル決済手段の市場が投機化して価格が乱高下しても、当局が旧仮想通貨そのものの存在を否定する動きにはなっていない。
一方、リブラについては、未だ発行が実現する前の時点で、多くの主要国が厳しい規制の導入を示唆するか、もしくは流通を認めない姿勢を示している。理由としては、「マネー・ローンダリングに利用されかねないこと」、「巨大IT企業であるプラットフォーマーによる独占の可能性」などを指摘する声が多いようだ。もっとも、根底にあるのは、各国政府による通貨管理能力が大きく損なわれ、政策が機能しなくなることへの懸念ではないか。
古代以来、通貨は基本的に強い権力を背景としてきた。金貨や銀貨などそのもの自体が価値を持つ場合を除き、紙をベースにした近代的な貨幣は、国家の信用力なくしては価値を持ち得ない。他方、ル・メール仏経済・財務大臣が指摘する通り、リブラは国家権力に対して挑戦する力を持つ可能性が十分あるだろう。
フェイスブックによれば、リブラは発行に当たって主要国の通貨や短期国債などにより発行額と同等の準備金を積むとされている。それは、既存の通貨に敬意を払い、その信用力によりリブラ自体の価値を安定させようとする仕組みに他ならない。
しかし、実はこれこそが通貨管理に対する大きな脅威なのではないか。世界の多様な通貨がリブラに転換され、利用される場合、ジュネーブに設立される「リブラ協会」には巨額の準備金が積み上がるだろう。その規模と運用の方法によっては、各国の通貨・金融当局による経済・通貨政策に甚大な影響を与えかねない。
より大胆なシナリオを想定すると、リブラの根源的価値を準備金として積まれた各国通貨が担保するのではなく、いずれ各国通貨のバリュエーションがリブラによって計測されるシナリオも想定される。それは、リブラ協会が通貨管理・金融政策における政府・中央銀行の役割を奪い取る可能性を示唆するものだ。
金融機関はデジタル技術でビジネスモデルの転換を図れ
リブラの脅威を直感的に感じている各国政府は、あらゆる規制を総動員して、その機能を限定的なものに止める努力を続けると見られる。そうした動きを受け、リブラ協会への参加を表明しながら、離脱する企業が相次いだ。
ただし、背景にデジタル通信技術の進歩がある以上、いつまでも規制を敷いて利便性を縛ることはできないだろう。リブラの構想が行き詰まったとしても、それに続く仕組みが次々と現れるからだ。新たな暗号資産に通貨・金融政策を奪い取られないためには、むしろ政府が積極的にデジタル通貨の発行を検討する必要があるだろう。中国では、人民銀行がすでにデジタル通貨の発行を準備している模様だ。
他方、現金を基盤として巨大な決済インフラを構築してきた既存の金融機関にとって、インターネット上の暗号資産を活用したデジタル決済は、ビジネスモデルの根本的な転換を迫るものに他ならない。日本国内で考えれば、銀行の店舗どころか、コンビニのATM(現金自動預け払い機)すら不要になる可能性が強いからだ。
金融機関にとって、現下の最大の課題はマイナス金利政策の克服である。しかしながら、長期的な視点に立つならば、本当の挑戦は、国家権力を裏付けとした通貨すら技術革新の波に飲み込まれようとする状況下で、金融機関自らが積極的にこのデジタル技術を取り入れ、ビジネスモデルの転換を図ることだろう。
- 講師
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ピクテ投信投資顧問
シニア・フェロー
市川 眞一 氏日系証券系列の投信会社を経て外資系証券にてストラテジスト。
2019年9月より現職。テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」
コメンテーター。